過去と現在

秋月の歴史

秋月の歴史

福岡県朝倉市の中心地から北へ約7キロ、のどかな山間の盆地に秋月の城下町があります。 国内でも数少ない「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、城址や武家屋敷などが今日も大切に保存されている秋月は、鎌倉時代から領地を支配していた秋月氏16代(1203年からの400年)、江戸時代から藩主を務めた黒田氏12代(1600年からの約300年)と、期間にして約800年もの長い歴史を脈々と受け継いできた秋月に一歩足を踏み入れると、そこには昔ながらの日本の原風景が広がっています。

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日本神話と秋月

日本神話と秋月

意外と知られていませんが、実は秋月は「日本書記」の中でも言及されています。飛騨地方の「両面宿儺」や、全国に伝承のある「土蜘蛛」と並び、秋月城下町がある朝倉地方には「羽白熊鷲(はじろくまわし)」の伝説があります。この羽白熊鷲とそれを討伐した神功皇后に由来する寺社や記念碑が現存します。

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中世秋月氏の歴史(1203〜1600年)

中世秋月氏の歴史(1203〜1600年)

秋月氏の祖は、平安時代に太宰府を中心として勢力を誇った大蔵氏です。 当主だった大蔵種直は平家政権に属しており、壇ノ浦の戦いで敗れてしまいます。 その後、種直の子の種雄は鎌倉幕府から赦免され、1203年に秋月庄を賜ったといわれています。 移り住んだ秋月を名字とした種雄は、以後秋月氏を称することになります。

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黒田藩の歴史(1600〜 1868年)

黒田藩の歴史(1600〜 1868年)

1600年、黒田長政は関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康に、恩賞として福岡・秋月を含む筑前国を与えられました。長政はそこに「福岡」という城下町を形成し、福岡藩の初代藩主となります。 そして自身の叔父である黒田直之には一万石を与え、秋月に移り住まわせました。 1623年、長政の遺言により二代藩主の忠之は、弟の長興に秋月周辺の五万石を分け与え、支藩秋月藩が誕生します。 今日のこの秋月城下町の基盤をつくったとされるのが、この長興です。

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秋月の乱:史上最後の武士の戦い(1876年10月27日〜11月14日)

秋月の乱:史上最後の武士の戦い(1876年10月27日〜11月14日)

明治政府に対する士族反乱のひとつである「秋月の乱」。 宮崎車之助を筆頭とした旧秋月藩士は、新政府による廃刀令と文明開化を含む開明的政策に反対し国権の拡張を訴えました。士族による戦としては日本史上最後のものになります。 西洋化された政治体制により、実質的な地位・経済的特権が失われたことに反発した士族は、今村百八郎を隊長とする「秋月党」を挙兵します。

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秋月のいま

秋月のいま

神話に始まり、秋月藩、黒田藩、そして秋月の乱… 着実に日本の歴史にその名を刻んできた秋月。 一度歴史を紐解くと、その重みに圧倒され、春の桜・秋の紅葉シーズンだけでなく、幾度も訪れたくなる魅力溢れる街となります。

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