秋月は朝倉市の北部、標高約860mの古処山の麓に広がる静かな町です。三方を山に囲まれ、南に開けた盆地に位置しており、周囲の自然と調和した美しい景観が広がっています。町の面積は約1000haで、その80%を山林が占めています。地理的に守りやすい場所であることから、歴史も深く、筑前の小京都とも呼ばれています。
中世には秋月氏が古処山に山城を築き、秋月氏16代、そして近世に黒田氏が12代にわたり支配してきました。現在の町並みは、黒田氏によって作られたものです。明治時代初頭までは城下町として賑わっていましたが、廃藩によって政治の中心地としての役割を失い、さらに秋月の乱による武家の没落や主要幹線からの距離が影響して、近代化や開発の波から取り残されました。そのおかげで、今も城下町の風情が色濃く残っています。
秋月は、全国でわずか126ヶ所しかない「重要伝統的建造物群保存地区」の1つに指定されています。特にその特徴は、町のほぼ全体が指定範囲となっている点です。町割りや屋敷割り、道路網や水路網、城館跡や武家屋敷、町屋の風景が、周囲の自然景観や田園景観と美しく調和しています。こうした歴史的な風情が今も大切に保存されており、訪れる人々にその魅力を感じさせてくれます。
秋月のシンボルである古処山は、自然美と歴史的な魅力が詰まった場所です。秋月の名が初めて史料に登場したのは、正暦3年(992年)の大宰府符に記されており、その後秋月庄として栄えました。古処山は秋月氏の時代に天然の要塞として利用され、山頂には「大将隠し」や「奥の院」など、当時の名残が今も残ります。
この山は、映画史にも深く関わっています。黒澤明監督の名作『隠し砦の三悪人』は、秋月城や古処山の大将隠しなどの史跡を元に脚本が書かれ、ジョージ・ルーカス監督はこの作品に強い影響を受け、後の『スター・ウォーズ』を制作したとも言われています。世界的に有名な作品に影響を与えた場所としても知られています。
古処山の登山は、登山入口から約2時間で山頂に到達でき、初心者でも安心して登ることができます。山頂からは美しい景色を楽しむことができ、秋月の歴史と自然を一度に感じることができるスポットです。古処山は、秋月の環境や伝説を語るうえで欠かせない場所となっています。
古処山→
古処山ツゲ原始林→
秋月の町並みは、自然環境と人々の暮らしが織りなす独特な雰囲気と景観で知られています。特に、町並み(町屋)景観と武家屋敷景観の調和が魅力です。秋月のメインストリートである秋月街道沿いには、他の地域と比べて地割が小さく、約3.5間の開口部を持つ小規模な建物が連続しています。この街並みは、簡単に変えることができないため、長い歴史を経て今もその姿を保っています。また、各町屋の立面は一つ一つ異なり、屋根の形状や素材、建具の配置が調和し、コラージュのように美しく組み合わさっています。これらの要素が、古処山の自然景観と見事に調和し、人々に優しい規模感の町並みを作り出しています。
秋月の町には、町並みや武家屋敷の周りに大きな樹木が植えられており、これらの巨木はその場所の歴史を伝えるとともに、建築と自然の調和を象徴しています。町を歩きながら、その歴史の深さを感じることができます。
また、秋月には当時の藩政時代を彷彿とさせる武家屋敷とその門、土塀が残っています。町全体が傾斜地に広がっており、敷地内を平坦にするため、石垣が積まれ、段々畑のように敷地が並んでいます。当時、この石垣の上に土塀が建てられていました。現在では多くの武家屋敷跡が農地に変わっていますが、いくつかの場所では、当時の立派な石垣が今も残されています。
旧田代家住宅→
武家屋敷久野邸→
秋月城長屋門→
秋月の町を歩くと、土塀や生垣の基礎石、建物の基礎石、田畑の境界石など、さまざまな石積みを見ることができます。これらの石積みは、当時の人々の生活の必要に応じて作られたもので、時を経るごとにその役割も変わってきました。町の至るところに点在する石積みは、秋月の風景に深い味わいを与えており、特に野鳥川沿いの石垣は、環境保全や治水の面でも重要な役割を果たしています。
野鳥川→
秋月を流れる主要な水系は、藩政時代から変わらず、野鳥川、天神川、鳴渡川の3つの川が合流して秋月川となり、さらに下流で小石原川へと流れます。また、これらの水路ネットワークは、明和期や文政期の古地図と比べてもほとんど変化がなく、歴史的な背景を感じさせます。水は農業や産業、飲料、洗濯、風呂、養魚池などさまざまな用途で利用され、生活に欠かせない役割を果たしています。それだけでなく、水は町の景観や癒し、アクティビティの面でも重要な存在となっています。
秋月では、川や水路が町の中を流れ、絶え間ないせせらぎの音が心地よく響いています。昔に比べて水辺での生活は少なくなりましたが、現在の秋月では、子供たちが川で泳いだり、魚やカニを捕まえたりする姿をよく見かけます。また、蛍の季節には、川の周辺に多くの人々が集まり、幻想的な蛍の光を楽しむことができます。町のさまざまな場所で、水に触れながら美しい風景を楽しむことができるのも、秋月ならではの魅力のひとつです。
野鳥川→
女男石護岸→
トノサマビオトープ→
秋月を貫通する古道の起源は、明確な史料が少ないものの、中世にはすでに利用されていたと考えられています。この道は、近世の長崎道の脇街道にあたるもので、甘木や秋月を経由して嘉麻郡千手・大隈(現在の嘉穂町)を通り、豊前へと続いていました。江戸時代には、大名たちが黒田本藩の支配を避けるため、この脇道を利用して参勤交代を行っていたとも伝えられています。
現在、秋月城下町には、上流から順に皐月橋、野鳥橋、秋月橋、秀都橋、今小路橋、目鏡橋の6つの橋があります。そのうち、旧来の位置を保っているのは、野鳥橋から目鏡橋までの5つの橋です。特に、1810年に当時の郡奉行のもと、長崎から招かれた石工たちによって築かれた眼鏡橋は、秋月のシンボルとなっており、福岡県指定の文化財にも指定されています。眼鏡橋は、秋月で採取される堅固な花崗岩を使って建てられており、そのスマートで繊細なデザインが特徴です。通常、花崗岩で作られる橋は桁橋が一般的ですが、眼鏡橋は大きなスパンを持ち、優雅な形状が際立っています。
また、秋月の野鳥川上流にある番所橋も、花崗岩で作られた桁橋の一例です。この橋は石柱で支えられており、その独特な構造が非常に印象的です。
目鏡橋→
番所橋→
秋月街道・新旧八丁越→
瓦坂→
江戸時代、秋月は多くの恵まれた産物を生み出していた地域でした。現在でも続く伝統産業としては、秋月葛や手漉き和紙が挙げられます。また、かつて栄えていた博多織や酒蔵は廃絶しましたが、朝倉市の無形文化財に指定された歴史もあります。草木染は一度衰退しましたが、近年、新しい形で復活を遂げています。これらの産業は、清らかな水を活かしたもので、町の水環境の恵みを受けた大切な文化となっています。
筑前秋月和紙処→
廣久葛本舗→
夢細工→
甘木絞 hinome →
秋月は、地域の自然環境や歴史的な風景を大切に守り続けるための取り組みが進められています。例えば、九州大学流域システム工学研究室による「地域主導の秋月野鳥川再生」プロジェクトでは、河川管理者や地域住民と協力し、秋月の土木遺構の保全と再生を進めています。近年、河川の農業用水路のコンクリート化が進む中で、自然石を使った護岸の環境機能や治水機能を科学的に評価し、自然石の護岸を守る活動が行われています。これにより、地域の水環境の健全性が保たれ、さらに野鳥川流域の自然環境を守るための教育活動にも取り組んでいます。
また、秋月は国内でも数少ない生物多様性のホットスポットとして知られており、九州のほぼすべての在来種のカエルが生息しています。これらの貴重な生物を守るため、九州大学流域システム工学研究室は、湿地や自然林の再生に焦点を当てたプロジェクトを始めました。この取り組みは、水循環の健全性を回復させるとともに、修復方法を科学的に検証し、地域の生物多様性を守るための意識を高めています。地元の人々と協力しながら、未来の保全活動に向けたワークショップや教育の機会も提供されています。
秋月のいきもの→
トノサマプロジェクト→
石垣の保存活動→
秋月は、伝統文化の保存と新しい文化の創出が調和したまちです。地域住民や文化愛好家たちの手によって、大切な無形文化財が守られています。秋月には、武家に伝わる「光月流太鼓」や、秋月藩に伝わる「林流抱大筒」など、貴重な伝統芸能が今も受け継がれています。また、「つげの会」などの地域活動も盛んで、町内の行事や季節ごとのイベントにボランティアとして参加したり、秋月城跡の長屋門で来訪者に抹茶とお菓子をふるまうなど、地域に根ざした文化活動が行われています。
秋月では、新しい文化も創出されており、伝統を尊重しながら時代の変化や多様な価値観を反映したイベントが年間を通して開催されています。2008年に始まった「秋月鎧揃え」では、鎧を着た参加者たちが武者行列を繰り広げ、歴史を感じさせる催しです。2016年からの「古都秋月雛めぐり」では、町の各所に飾られた約600体の雛人形が展示され、関連イベントやワークショップも開催されます。また、「フィルムフェスト・アキヅキ」では、秋月の歴史的な建物や古民家を会場に、国内外の映像アーティストによる作品の上映が行われ、芸術を通じたまちづくりの一環としてトークイベントやコンサートも楽しめます。伝統を守りつつ、新しいアイデアや表現が生まれる秋月で、ぜひその魅力を体験してみてください。
光月流太鼓→
林流抱大筒→
秋月鎧揃え→
秋月鎧揃え→
古都秋月雛めぐり→
フィルムフェスト・アキヅキ→